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駒のつく神社を訪ねる(4)~幻になった駒形神社 [日々散策]

北村健治

 駒ヶ岳ファンクラブが2007(H19)年に発行した、改訂『全国の駒名の神社リスト』によると、東京都には、駒のつく神社あるいは高麗・狛・巨摩・漢・蒼前神・惣染神などに所縁のある神社は、駒形神社(昭島・八王子)、駒繋神社、駒留神社、虎狛神社(青梅市には虎柏神社があり、柏は誤記されたものとの解説もある)など8社が紹介されている。
 多摩地区では、すでに訪ねた八王子・昭島のほかに、調布・青梅・瑞穂にも紹介された神社があることがわかり、訪ねてみた。

 瑞穂町には、狭山丘陵の西端部分を囲むように武蔵野台地の緩やかな地形面が広がっている。そのかなり広い地区の一つに駒形富士山という地区があり、以前から駒に纏わる何かがあるのではないかと思っていた。またこの一帯から南西方の狭山丘陵の西端に目を向けると地平線に霊峰富士山を望むことが出来る。
 瑞穂町が1974(S49)年に発行した瑞穂町史を開くと、「駒形という地名について」「駒形明神の成立について」「駒形に於ける近世集落の形成」という項が設けられていて面白く、読んでみた。その概略を以下に記す。
 
 1644₋1947(正保年間)にできた官撰の武蔵国図には、この辺りは広く宮寺となっていたが、1645(正保02)年に地頭(1596-1615慶長年代に赴任)二代目大田正忠の時に、初めて栗原河内守重次が明神の神主を地頭から申し付けられ、その時の書状(誓文)には駒形村の氷川明神となっていて、すでに駒形村は成立していた。大田氏の氏神的性格を持って村人たちに維持されていた。

 1705(宝永02)年の検地帳には駒形、その北側を東へ流れるトシシラズカワ(不老川)の左岸に駒形山下・駒形山・駒形山北添の小字が記入された地図の駒形山の中央に鳥居の記号がある。ここにかつて駒形神社が南を向いて鎮座していたと考えられる。そして北・西側の旧二本木村、南側の旧高根村、東側の旧坊村に囲まれた駒形村が存在していた。

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旧駒形村の小字名など(赤点の辻間が250m)

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25000分の一地形図「青梅」より(赤点の辻間が250m)。方位のずれが少しあるが、道の位置は上図とよく合っている。

 1792(寛政04)年に駒形明神の神主栗原山城の書いたものに、神名は氷川大明神であるが社の辺りの地形が駒の形に似ているので駒形の宮と云い、所もこのゆえに駒形村と名付けた。とあり、駒形の名称は地形から生まれた言葉であると言える。
 これら新編武蔵風土記稿(1824-28、文政07-11)以前の記述は、栗原家文書による。

 時代は替わって明治初年には、この瑞穂町一帯は韮山県・入間県、1872(明治05)年から神奈川県、1893(明治26)年に東京府と転々とし、1958(昭和33)年には旧駒形村一帯は埼玉県旧元狭山村大字駒形富士山から瑞穂町に合併した。江戸時代から存在した各旧村々の鎮守社を駒形山の尾根続きで約1500m西方に1918(大正07)年創建された元狭山神社に合祀することとなり、駒形山にあった駒形神社は消滅した。

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祭礼中の元狭山神社の鳥居(正面奥に本殿)

 この元狭山神社の御祭神を表した額(昭和59年4月15日作成)には、駒形神を筆頭に15の神神が列記されている。

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元狭山神社の御祭神を列記した額

 さて、瑞穂町駒形山(旧駒形村)の散策は、雪の富士山が見える冬から、ミツバツツジやカタクリの咲く4月から5月ころまでが最適であり、JR八高線の箱根ケ崎駅から約2.5kmほどの範囲だから、半日くらいの行程で狭山丘陵の西端一帯や残堀川水源地(狭山ヶ池)などを楽しむことができる。

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南西側から見た、駒形山全景

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南東側から見た、駒形山

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駒形神社はこの道の正面当たりにあった

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木立の中にある栗原宮司の屋敷                        
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