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大駒ヶ岳 [登山記録]

原田勝之

6月25日

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大駒ヶ岳登山口のウェストン碑で記念撮影

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ブナの木の実
熊の大好物。食べて見ましたが淡泊な味でした。

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タニウツギ

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日本一のダケカンバ

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大駒ヶ岳

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大駒ヶ岳で記念撮影

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大駒ヶ岳から三つ岳と十和田湖

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三つ岳から大駒ヶ岳

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倉石温泉で汗を流す
小野寺さん、ご案内をありがとうございました。
幹事の仲さん、お疲れさまでした。
天気にも恵まれ、すばらしい2日間でした。


天台寺~ウェストン碑 [登山記録]

原田勝之

6月24日 歴史散策

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天台寺
今東光、瀬戸内寂聴が住職を務めていた。中尊寺より歴史が古いと言われている。

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姥杉の焼跡=天台寺の大杉
戦後多くの大杉が伐採された。

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天台寺のヤマボウシ

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浅水駐在所

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戸来家のウェストンの碑
この家に泊まった。

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戸来家のウェストンの碑の前で記念写真

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キリストの墓

駒木立山~田代連山 [登山記録]

原田勝之

6月24日 山歩き

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登山道から見える駒木立山 

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登山道の右手にみえる七時雨山 

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ヤマツツジ 

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三方沢山(サブジャヤマ)

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ベニバナイチヤクソウ 

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田代山連山(三方沢山と駒木立山と田代山)

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田代山山頂 

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田代山山頂にて

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駒木立山頂にて

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ミヤマオダマキ

瑞牆山頂にて [登山記録]

原田勝之

先に報告の瑞牆山の山頂スナップです。
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瑞牆山登山 [登山記録]

谷 和代

 入梅中の6月18日、企画委員会2017年第2回行事となる瑞牆山登山が行われた。田中、谷、伊達、原田の4人は韮崎駅から8時50分の瑞牆山荘行きバスに乗車し、瑞牆山荘へ。そこで車の石橋夫妻と合流。
 10時10分登山口(1520m)を出発、樹林帯をゆっくり登る。予定より少し早く富士見平小屋到着。
 小休止の後、折角、登ったのに沢に向かって下る。アズマシャクナゲにトウゴクミツバツツジが綺麗だ。山頂方面はガスっているが、桃岩を左に見て、シャクナゲの咲く道を徐々に登り、梯子やクサリの岩場を通過して山頂に着く。
 時折、雲が切れ周辺が見えるが、金峰山方面や信濃川上方面は展望なし、
 ゆっくり昼食。名残惜しいが山頂を後にして下山。富士見平小屋の水場で冷たい水をお土産に瑞牆山荘に下る。石橋夫妻の車で増冨の湯で入浴。
 余裕で韮崎に着き。お二人と別れてそれぞれ帰宅の途に就いた。
 入梅中で天気が心配でしたが、関東の雨のニュースの中、雨にもあわず、楽しい山行でした。
 出会った花々を紹介します。

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アズマシャクナゲ

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キバナノコマノツメ

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ギンラン

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クリンソウ

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ツマトリソウ

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トウゴクミツバツツジ

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ベニバナヒメイワカガミ

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レンゲツツジ


6月交流会 [会員連絡]

駒ヶ岳ファンクラブ(KFC)の6月交流会はいつもの新橋・鳳龍クラブで開催されました。
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行事確認のあと、ゲストの駒井武さんから「高麗と駒」と題された講演がありました。
ご自身のルーツと高麗とのかかわりを中心に駒ヶ岳にも触れて話が進みました。
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右から田口会長、駒井武さん。

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 会員にとってもこれまでの駒ヶ岳学講座の復習を刺激されたようでした。
★なお、駒井さん及び、駒井さんと面識のあった明専会東京センター長・九州工大鳳龍クラブ主管の栗原さんが駒ヶ岳ファンクラブに入会されるという、うれしいハプニング付きで2次会まで楽しく盛り上がりました。


ウマ・うま・馬の百態 その3 [駒・馬の話]

その3 有翼の馬ペガサス
田口計介

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1 四頭立て二輪戦車に乗るヘリオス(ギリシャ神話の太陽神)

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2 有翼の馬が曳く馬車 bc7c

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3 ブロンズのペガソス bc575年頃

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4 疾走する2頭の有翼馬 bc520年頃

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5 ペガサス頚飾 bc5c

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6 ペガサスに乗るペレロフォン(ギリシャ神話の英雄)bc5c

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7 下界へ行くぺルセフォネ(ギリシャ神話の女神)

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8 スキタイの飾り板・金 bc4c

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9 金銀象嵌銅車飾り 前漢

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10 龍首水瓶の天馬 7c、小生レプリカ所有

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11 ペルシャ絨毯 7c

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12 唐・順陵の天馬石像 8c

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13 円鏡の天馬

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14 韓国新羅・白樺樹皮製天馬

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15 鳥獣花背円鏡

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16 ルネサンスのペガサス 16c

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17 ウィーンの街角








鳥と馬の山散策~白鳥山から下駒ヶ岳 [登山記録]

木本桂春

 今年は酉年です。そこでKFCの馬と対で鳥の山を毎月登ろうとしています。
その戦果は
 1月=烏帽子山・馬鬣山、2月=鳶ヶ峰・馬鬣山、
 3月=鷹打山・駒の頭、4月=大鷲山・箱根駒ヶ岳(神山・冠ヶ岳)
 5月=鳥捕山・馬場山と低山徘徊をつづけています。

 6月11日は白鳥山から下駒ヶ岳を通しでやることにしました。天気も良いので夜明け前に新潟県境に向かいます。

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日本海から上る太陽        
 県境の境地区から見た、米山と佐渡ヶ島の中間あたりの日本海から上る太陽です。雲の後ろからは後光が射し金粉をまき散らしているようです。夕陽は富山湾の能登半島沖に落ち込みます。6月は海に上り、海に没します。

 県境の境川上流から新潟県側の上路川をたどり、登る人の多い坂田峠を避け、山姥駐車場へ。陽の当たる前に緑の回廊登り、山姥洞窟から鼓ノ滝へ。小滝は謡曲「山姥」にちなんで鼓ノ滝と呼ばれています。

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鼓ノ滝

木の緑深き、滝も風情があります。足元にはコイワカガミ、そして回廊の上にはオオカメノキの白い花が青空に映えます。

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コイワカガミ

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オオカメノキ

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 白鳥山直下から見る、手前の緑が下駒ヶ岳、その後ろが犬ヶ岳、遠くの残雪の多いのは朝日岳です。

 意外なことに白鳥山の山頂小屋には前泊者がいたので頂上を通過し、下駒ヶ岳に向かう。再び緑の急な回廊を下っていくと雪解け際にカタクリ、サンカヨウの花々が迎えてくれます。

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カタクリ

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サンカヨウ 
          
 東北方向に糸魚川駒ヶ岳の山群が見えてきます。

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大きな山は、焼山で噴煙が見えます、その左が火打山で標高2462mでこれより以北には火打山より高い山はありません。ぐっと下がって、手前の黒いシルエットの左が糸魚川駒ヶ岳です。焼山、火打山から見ると標高が900m程低いのです。これらの山群全域は世界ジオパークのジオサイトになっています。

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 下駒ヶ岳付近から見た剱岳です。
          
 下駒ヶ岳の頂上着、江戸時代の加賀藩・黒部奥山廻役により巡検されました。犬ヶ岳、下駒ヶ岳、寺山(現在の白鳥山)を下駒三山と呼び、下駒ヶ岳の境川・北谷と似虎谷の出合付近に小屋掛けしてここを拠点に200年以上にわたって活動しました。

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下駒ヶ岳の頂上。今日も相棒はストックに日除け付き帽子でした。

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足元にギンリョウソウが見送ってくれました。

駒のつく神社を訪ねる(6)~駒繋神社 [日々散策]

北村健治

 世田谷区の駒のつく神社には、上馬の駒留八幡神社と、もう一つ下馬の駒繋神社という立派な社がある。源氏ゆかりの福の神・縁結びの神、世田谷下馬の鎮守・子の神。一心泣き相撲世田谷場所、人形(人型)を船上より大海原(現在は駿河湾)に流す「形代流し神事」などで知られる。

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一心泣き相撲世田谷場所広告

 ご祭神は、大国主命であり、平安時代後期、後冷泉天皇の天喜4(1056)年、源義家公が父頼義公と朝廷の命を受けて、奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向かう途中、このあたりを通りこの社(子の神)に武運を祈願したとの源氏ゆかりの神社である。これ以前に出雲大社から御分霊を勧請し守護神としてお祀りされたと考えられる。創建年代は不詳。
 その後、文治5(1189)年7月、源頼朝公が奥州の藤原泰衡征伐のため、自ら大軍を率いて鎌倉を出立し、この地に至りかつて義家公が当社(子の神)に参拝したことを回想して、愛馬より下りて駒(馬)を境内の松(駒繋松:4代目を育てている)に繋ぎ、農家の姥に「子の明神」での祈願を勧められ、戦勝を祈願したと言われており、ところが頼朝公の芦毛馬が沢にはまり驚き暴れ死んだので供養した(芦毛塚)―馬から下りて沢を引いて渡る村―の故事によりこの一帯を「下馬引沢村」と、「子の神」が「駒繋神社」とも呼ばれるようになった。また、頼朝公は帰途にも戦勝の報告をして、芦毛塚では馬の供養もした。正式には、明治以降に駒繋神社と称せられるようになった。

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「駒繋の松」の碑(松の木がない)

 文化12(1815)年に記された「世田谷紀行」には、「こは、下馬牽澤村に有りて いと古き世の奥つ城(神霊の鎮まるところ)と見ゆ。堀をめぐらしし中に、丘を高うつきなしたるは、奈良の朝よりあなたのつくりざまになんありける。」とあり、神社の下を流れる蛇崩川が、堀をめぐらしたように見え、その中に突き出た神社の姿は、奈良の世より古い時代の趣があったという当時の様子も知ることができ、東京の中でも名社の一つであったことがわかる。蛇崩川は暗渠にされて素晴らしい遊歩道(蛇崩川緑地)になっている。
 昭和32(1957)年には、この神社創建を義家公故事のある天喜04(1056)年として、鎮座九百年式年大祭を、平成19(2007)年には鎮座九百五十年式年大祭を盛大に斎行された。
 芦毛塚には昭和44年8月24日、「芦毛塚の碑」が建設された。
 さて、この神社へは駒留八幡神社から、環状7号線駒留陸橋を潜って、駒留通り、その延長の通りへと歩き、向かって左裏通りが蛇崩川緑地となっている。
 その木陰を拾いながら歩くと約30分(約1.9㎞弱)ほどで東口の鳥居(神明鳥居)の前に出た。

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東口の大鳥居(神明鳥居)

 樹木に覆われた急な石段を上がるとかなり広い境内に出る。

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広い境内

なかなか豪壮な拝殿本殿にお参りする。
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豪壮な唐破風の拝殿の奥に本殿

稲荷神社ほか合祀社もなかなか立派である。

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合祀社(春日鳥居)

境内の南西口には大きな神明鳥居がある。東の鳥居と形が異なることも面白い(寄進者の好みによる)。
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南西口の大鳥居(神明鳥居)

 駒繋の名前も恐らくこの神社のみではなかろうか。地域では小学校・自治会・公園名などに使われている。(青森には麺処「駒繋」というのもあるとか・・・)。

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自治会名にもなっている

 厄除(厄祓)・結婚式・安産・宮参り・七五三詣ほか各種祈願などが案内されている。
 アクセスは、東急世田谷線三軒茶屋駅、東横線祐天寺駅いずれからも徒歩約15分。

駒のつく神社を訪ねる(5)~駒留八幡神社(世田谷百景の一つ) [日々散策]

北村健治

 東京23区内にも駒のつく地名はいくつもある。駒ヶ坂(中野)、駒塚橋(文京)、駒の橋(新宿)、駒場(目黒)、駒込(文京・豊島)、駒形(台東・墨田)、駒沢(世田谷)と多く、ことに駒込のつく地名は実に多い。どれも駒・馬との関わりのある由来を持つと思われる。
 中でも駒沢(こまざわ)は、1889(明治22)年以来の荏原郡駒沢村大字名として下馬引沢・上馬引沢が使われ、1925(大正14)年~1932(昭和07)年に駒沢町の大字名として下馬・上馬が使われた。1932(昭和07)年に世田谷区下馬町・上馬町と表記され、昭和40~43年の改正以後は世田谷区下馬1~6丁目、上馬1~5丁目、駒澤~5丁目との表記になった。
 その由来は頼朝伝説に始まる馬引沢の地名に始まり、江戸時代天保期には馬引沢村一村であったが、後に上馬引沢村・中馬引沢村・下馬引沢村となり、中馬引沢村は1879(明治12)年に上馬引沢村に合併したが、1889(明治22)年には駒沢村の大字中馬引沢となり、1932(昭和07)年以後は三軒茶屋となる。
 旧下馬引沢村は駒繋神社氏子地域として下馬、旧上馬引沢村は駒留神社氏子地域として上馬との駒沢町時代の大字名が使われ、それぞれ現代に至る。駒沢は旧練兵場、公園、オリンピック公園、総合運動場、競技場、小・中学校、大学、駅、通りなどの名前にも広く使われている。

 さて、駒留神社は旧上馬引沢村旧村社として、世田谷区上馬5丁目35番地に南向きに鎮座する。現在の氏子は上馬1~5丁目・三軒茶屋・駒沢1~3丁目に分布し、例祭日は10月15日(神事)、それ以後の週末に諸行事が行われている。サギソウの名前発祥地の伝説がある。
 現在の社は、クロマツの保存木やケヤキなど高木が何本か残されているが、周囲の住宅への配慮なのか、かなりの大枝が切り下されて、境内にはすっかり日差しが降り注いで明るい遊園地のように見える。歴史のある神社としての雰囲気が残念ながら壊されている。

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一の鳥居(木立がなく寂しい)

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二の鳥居(境内が殺風景)

 御祭神は天照大神・応神天皇であり、記録によれば鎌倉時代の1308(徳治03)年、当地の領主北条左近太郎入道成願が、八幡大神を勧請し創建された。成願は御神託により、奉斎する土地を選ぶ際、自らの乗った馬の手綱を緩めて歩かせ、馬が立ち留まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられる。

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狛犬の奥に本殿

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立派な神楽殿もある

 また、世田谷城主吉良家との関わりによる厳島神社、三軒茶屋に鎮座していた天祖神社や、稲荷神社、女塚社、御岳社、三峰社、榛名社、菅原社などが広い境内にそれぞれ祀られている。

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由緒ある合祀社の一つ(厳島神社)

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合祀社(菅原・榛名・三峰・御嶽)

 神社名の駒留も他に例がなく珍しい。周辺では中学校・陸橋・通り・バス停・お店・お囃子などの名前に使われている。

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暗渠になった川に橋の名前だけ残る

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通りの名前にもなっている

 最寄駅は、東急世田谷線若林駅で、すぐ東側にある環状7号線に沿って南へ10数分も歩けば、立派な拝殿・本殿を中心として歴史を物語るような狛犬や神楽殿、各境内社の祠などが立ち並んでいる。


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